『裁判の非情と人情』原田 國男

退官された裁判官の方が書いたエッセイ集のような本。東京高裁にて逆転無罪(地裁で有罪だったものを控訴審で無罪判決)を多く出したことのある著者とのこと。

 

過去に月刊誌に寄稿していたものをまとめたものとのことで、一話一話読みやすくまとまっている。全体を通して、裁判官という特殊な仕事の中で、事実認定への向き合い方(リスク)、裁判官としての倫理観、独立性、特殊な仕事としてのマスコミ及び社会への向き合い方・責任など、長く裁判官として思考を巡らせた結晶がちりばめられており、非常に面白かった。

 

興味を引いたところなど

裁判では宣誓をしたうえで偽証をすると偽証罪に問われるが、日本で、この偽証罪の起訴が極めて少ない。これは、偽証をしていないという性善説的な見方もできなくはないが、実情は訴訟されていないケースが多いと筆者は考えている

 

裁判官の仕事では記録を丹念に読む以外に、近道はない。この習慣は、若いうちから身につけないと後で困ることになる。どうしても、簡便で能率の良い記録の読み方を探そうとする。とくに若い判事補には、要領のよい記録の読み方をしようとする者が多い。しかし、記録は、隅から隅まで丁寧に読むべきなのである。便法はない。昔、東京高裁でお仕えした四ツ谷 巖 判事(のちに最高裁判所判事) は、記録の一隅の数行に真実が隠されていることがあるから、記録は、一行でも 疎かにできないとよく言われていた。

これは身に刺さった。効率を求めると見落とすものは必ず出てくる。勿論仕事では必ず時間が限られているが、求められているクオリティーが高い仕事では、全て見るしかない。基本的に全ての仕事でもそのような気もする。

 

だいたい、名前自体が國男といういかにも戦時色の強いもので、同級生には、東洋男とか邦子といった大東亜共栄圏を想起させる名前が結構ある。終戦後生まれた団塊の世代になると、和夫のように平和を象徴するような名前が多い

本筋とは関係ないが興味深かった。そういえば知り合いの戦中世代の方も邦という字がついていた。

 

ある事件で逆転無罪にしたところ、その第一審の裁判長がわざわざ裁判官室に訪ねて来て、どういう点が誤っており、正すべきであるのかを真摯に尋ねた。最初は、文句を言いに来たのかと思い、身構えたが、その真剣な態度に感銘を受け、いろいろ感じたところを述べたことがある。このような態度は、なかなかとれそうでとれるものでない

これこそがプロフェッショナル。

 

ビジネスと人生の「見え方」が一変する生命科学的思考

◎目次 
第1章 生命に共通する原則とは何か ー客観的に捉えるー 
第2章 生命原則に抗い、自由に生きる ー主観を活かすー 
第3章 一度きりの人生をどう生きるか ー個人への応用ー 
第4章 予測不能な未来へ向け組織を存続させるには ー経営・ビジネスへの応用ー 
第5章 生命としての人類はどう未来を生きるのか


生命科学の原則をもとに、それをどのように人生に生かしていくか、生命科学研究者であり遺伝子解析ビジネスの立ち上げである筆者が紹介。

一章、二章では生命科学の原則の説明。印象に残っているのは、現代社会でトラブルや悩みになる、感情や視野が狭くなることには生物学的な意味があるということ。それを科学的知識として知ることで、冷静になれる。また、それは自然なことなので、無理に殺す必要もない。

3章、4章では生命科学的な話を抽象化し、組織論にも生かせる思考を記述。例えば、生命としての形を保ち続けるために、変化による安定性(動的平衡)が必要など。